時々、中国語と日本語は似ていて非なる表現があるものだなぁと感心します。
「洗手」と書いてあったら、とりあえず「手を洗う」ということだろうと日本人なら推測できますね。
それ以外の意味についてはどうでしょうか?
例えば、「洗手改行」
パソコンの前に居らっしゃる皆様は、きっと、「手を洗って、改行キーを押せってか???」と首をひねりそうですね(笑)
改行の意味は専門とか業種・業界を替えることです。
つまり、「鞍替えをする」というような意味になります。
ん?って思いませんか?
だって「手を洗って」「フィールドを替える」ことは普通、「足を洗う」じゃないの?と日本人なら思いますよね。
中国語だと手を洗うんですね。
だから、悪事から足を洗うことは「洗手不干」と言い回します。
中国語は手を染めて手を洗うのですから、論理的ですが、日本語だと語源が違うので、手を染めても足を洗うわけでですね(^^;
中国語の「大きい」ってどんな感じ?
え?日本語と同じでしょ、って思ったそこのアナタ、甘いかも。
中国語をやっていて面白いなぁと思うのは、中国人と日本人では、「大きい」の使い方の感覚が違うということです。
例えば、こんな感じ。
中国語「雨が大きい」
日本語「雨が強い」
中国語「リスクが大きい」
日本語「リスクが高い」
中国語「心が大きい」
日本語「心が広い」
中国語「C大調」
日本語「ハ長調」
まぁ、同じ漢字を使うから、日本人にとって中国語は簡単だろうと西洋人に言われますが、微妙に感覚は違うと思うんですがねぇ…
先日、日本で「日本人の知らない日本語」という本を買って読みました。
ドラマでおなじみの原作本でございます。
ドラマの方は、台湾人の友人で、わたくしの日本語の生徒に面白いドラマがあると教えてもらって、動画サイトでみたことがあります。
ほんと、外国人って変なところに疑問を持つものですよね。
事実、日本語が母語である人ほど、文法的に変な言葉をよく使うものです(^^;
わたくしの場合は、日本語があるレベル以上できる中国大陸人又は台湾人によく、「何で日本語ではXXというのか」「YYとZZではどちらが正しいのか」というような質問を受けて困ることが多々あります(勉強不足ですみませんって感じ)
で、先日、隣のZ弁理士に聞かれて返事に困ったことは
「ご査収のほどよろしくお願いいたします」
「ご確認のほどよろしくお願いいたします」
とかってよく言うけど、この「ほど」ってどういう意味?というもの。
会社でよく使う表現なので、お願する時の丁寧語の類かと思い、ずっと私自身使い続けてきた言葉ですが、文法的にどうなのか、どういう語源なのか、考えたこともなかったぞ~
実は間違った表現なのかとあせりましたが、大丈夫でした。
どうやら、“程”(ほど)というのは名詞にくっついて表現を和らげる効果を期待するもののようです。
だから、お願いする文章などによく出てくるんですね。
具合・情勢・様子を表わす語で、名詞について表現を婉曲にする働きがある。
同じ表現例では、「ご無礼の程」「ご愛顧の程」などがよく使われる。
『日本国語大辞典 第2版』(小学館)『大辞林 第3版』(三省堂)参照。
要するに、あいまいな日本人と日本語の習慣だったのか…
確かに、中国語に翻訳すときに、こういう時の「ほど」は訳しようがないから、Zさん、悩むはずだよ。
今週は日本です。
先ほどまで実家にいました。
そこで見たのが、パンメーカー
流行っていると聞いてはいたけど、本当に流行っていたんだ…
そして、母に説明を聞いて作ってみたけど、全然、難しくないんだね…
粉入れて、水入れて、ドライイーストをセットするだけ(^^;

パンが焼けた~
炊飯器をセットするみたいなノリで、パンが焼けるのね。
あぁ、わたくしが専業主婦なら絶対に欲しがってただろうなぁ。
ところで、北京で普通に街中で買う食パンは、正直、あまり美味しくない。
甘かったり、しょっぱかったりして、普通の食パンってないのかよ、と思います。
日本人的に「こりゃうめぇ~」という食パンが欲しかったら、外国人が多く住む専用アパートの傍とかにあるパン屋で高いお金を出して購入する必要があります。
あぁ、パンメーカーを持って北京に戻りたいなぁ。
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今週いっぱいまで隣に座っているW君(秋からはニューヨーク大法科大学院に行くため離職予定)が、「得瑟(de se)」という言葉を教えてくれました。
ちなみに彼は、所内の若い女の子に「Wさんって得瑟(de se)よね~」と言われて、意味が分からなかったのだそうです。
彼は南方の人なので分からなかったものと推定されます。
説明しづらい言葉なのですが、例えを挙げると、昨日買った洋服をすぐに友人に見せて回るとか、美味しいものを食べたら、すぐ他人に「あの店のこれはすっごく美味しかった」とふれて歩くような得意げな感じを表現するものです。
確かに、彼は昨日、通販で買った新しいズボンを見せてくれましたね~
しばらく中国でズボンを買っていないため(彼は長いこと米国に居た)、なんかサイズの見当がつかなかったらしく、「小さすぎて着れない~交換しなきゃ」と嘆いていました。
よく見てみると、わたくしが着れそうだったんで(わたくしは冗談抜きで、男性用の一番小さなサイズのジーンズ等がピッタリなんですわ…丈も切る必要なかったりして…)、借りて着てみたら、本当にピッタリでした(^^;
これじゃ、あなたが着れるわけないよ…最近ダイエット必要だって言ってたものね。
さて、だいたい意味の分かったところで、「じゃあ、うちの事務所で一番「得瑟(de se)」という言葉が当てはまるのは誰よ」という話になり、やはり誰に聞いても「S弁護士でしょう」との答え。
本人も認めており「確かに、私は長袖の服を買ったとして、翌日どんなに暑くてもぜったい着てきて人に見せびらかすだろうな」と言っておりました。
確かに、カエルのぬいぐるみも、朝一番にわたくしに見せに来たよなぁ…
しかし、Wさんがいなくなるとツマラナイ。
それは、別にわたくしが彼のことが気にいってたとかそういうことではなく、彼と同じ部屋にいるおかげで、この1年間、若い女の子がよく遊びに来て楽しかったんだよなぁ。
わたくしは若い女の子だいすき、面白いもん。
次にこの席に来る人も男性らしく、噂ではカッコいいらしいので、若い女の子にもててほしいものである。
実はサッカーのルールを全く知らないし、一緒に見て盛り上がる人もいないので、テレビ等でサッカー観戦をあまりしません。
だから、日本がこの間、活躍したことも、日系食材スーパーで「海鮮半額」セールをしているのを見て初めて知りました。
すみません…
そんなわたくしですので、夫がメールで「P.S ブブゼラ知ってるかね?」と聞いてきたので、そこで初めてネットで検索して、民族楽器だということを知りました。
夫が言うには、ほとんどが中国産らしいですね。
わたくしが、変な民族楽器を集めて喜び、変な民族楽器を鳴らす人に道で出会えばしゃがみこんで聴いているため、もしかして集めているのではなかろうかと心配したのでしょうか???
唇の振動がどうこうと説明があるので、金管楽器なのでしょうね。
わたくしの場合、笛は、リードのある笛(例:リコーダー、フルス、バウー)又はエアリード系の楽器(例:フルート、横笛、蕭)しか音を出すことができません。
だから、わたくしはブブゼラ吹けませ~ん(^^;
ところで、ブブゼラは音階が出せないらしいじゃないですか。
曲を演奏することを目的にしてないのなら、この楽器を最初に作った人はどういう目的があったのかなぁ
ブブゼラは中国語で何というのだろうと調べてみましたらVuvuzelaの発音に漢字を当てるのが一般的で、「鳴鳴租拉」「鳴鳴組拉」とか書けばよいようです。
鳴はmingという発音で、vuvuという発音から、ずいぶん離れてしまいますが、「鳴」という漢字は日本語と同じで、虫が「鳴く」ともいい、雷が「鳴る」ともいいますから、ニュアンスそのものはズレていないのでしょう。
北京のフツ―の楽器屋にも置いてあるのかなぁ???
気にしていなかったので、あるのかどうか知りません。
楽器屋より、スポーツ用品売り場とか、デパートにありそうな気がしますね。
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わたくしには子どもがいないので、夫のことを「パパ」とか「お父さん」と呼ぶ習慣はありません。
でも、子どものいる家庭ではお互いに「パパ」「ママ」「お父さん」「お母さん」と呼ぶのは珍しくないよね。
中国語の場合、相方に呼びかける際に「パパ」とか「お父さん」と言うのをあまりきいたことはありません(結構、相手の名前をストレートに呼ぶか愛称で呼ぶのが多いような気がします)。
でも、子どもに対して「パパどこに行った?」とかは言います(これはどの国でもそうですよね、きっと)。
不思議に思うのは、以下のような会話。
A:「息子さんは背が高い?」
B:「俺より高いかも」
A:「じゃあ、奥様、背が高いんだ」
B:「そうだなぁ、“息子のママ”は俺より背が高いなぁ」
別に離婚しているわけでもなく、奥さんや愛人がいっぱいいるわけでなくても、子どもを中心とて会話しているとき、息子の母=自分の今の妻である人を指して「他媽(直訳すれば、彼の母)」というんですよね…
もっと不思議に思ったのは、清代のテレビドラマでの、以下のような会話。
お医者様とその弟子が投獄されて、知人が牢屋に訪ねてくるシーン。
弟子は先生のことを常日頃、「師傅」と呼びかけます。
そして先生の奥様に対しては「師娘(あるいは師母)」と呼びかけるのが普通です。
注:中国語の「娘」は日本語と違い、母の意味です。
奥様は夫が投獄されたことを知ると倒れてしまって、牢屋を訪れることができないわけですが、お医者様が知人に訪ねます。
「他師娘怎麼不來?」
直訳すれば、「彼の先生の奥さんはなぜ、来なかったの?」
語手から見れば、自分の妻なのに、会話が弟子を中心に展開されたので、こんなまどろっこしい言い方をしたわけです。
しかし、日本語に訳せば、違和感あるわぁ(訳せないぞ)。
つくづく、翻訳とは外国語の問題ではなく日本語の問題なんだなぁと思います。
似たような言葉が出てきても、いかに区別して、いかに感覚的に近いものにできるか、そのためには、自分の頭の引出にたくさん日本語の言葉がつまっていないといけない…
辞書通りの意味でいいなら、機械翻訳で十分だものね。
先日、ヤフーのチャイナモールを見たら、機械翻訳なので面白い訳がいっぱいあった。
まぁ、だいたい意味の分かる表現もあれば、原文見ないと何だかよく分からない表現もあったりで、かなり笑えました。
ところで、こういう文章はなんと訳したらいいんでしょうね?
例題:楽器の共鳴板の材質による音の違いの説明文。
原文:「紫檀木琴的优点是音色纯净,酸枝木琴的特点是清脆明亮,黑檀木琴声音比较清脆明亮结实.各有特点.」
半加工:「紫檀の良いところは、音が「純浄」、酸枝(紅)木の特徴は、「清脆明亮」、黒檀の音は比較的「清脆明亮結実」であることであり、それぞれに特徴がある。」
仮訳:「紫檀の良いところは、音に透明感があること、酸枝(紅)木の特徴は、凛として澄んでいるところ、、黒檀の音は比較的、澄んでいながらも重厚感があるところであり、それぞれに特徴がある。」
太字の部分をどう訳すか。そこでその人の感性が試されているような気がしますね。
こんな訳でいいのだろうか。
もっと上手い言い方があるに違いない、というところが絶対的正解のない翻訳の楽しい(あるいは辛い)ところなのかなぁ。
文字を無視して自分が弾いてみたときに感じたままを書くというのも手だな(おい)。
例えば、何かの分野で大成するためには天賦の「才能」はあったほうがいいに決まっています(笑)。
でも、もっと大事なものがあるらしいです。
それは「悟性」。
最初にわたくしの柳琴と二胡の先生である龍海先生からこの言葉を聞いたとき、「???」と思いました。
龍海先生に「どういう漢字ですか」と尋ね返して「孫悟空の真ん中の字だ」と教えてもらった後、辞書を引いてみたら、「理解力」という説明が書いてあっただけなので、何となく「先生の言うことをちゃんと理解できる能力なのだろうな」くらいに思っていました。
ところが、二胡の演奏家・教育家で中央音大の趙寒陽先生の著書を読んでビックリ仰天。
恐ろしい勘違いをしておりました。
以下、わたくし萩原有里が翻訳して引用させていただきます。
中国の伝統文化において、人の脳の機能は「元神」と「識神」の2つに分類することができる。「元神」は人が生まれながらにもっているもので、いわゆる天賦であり、コンピュータのCPUに相当する。「識神」は後天的に生活の中で形成・蓄積されるもので、コンピュータのソフトウェアとRAMに相当する。人は成長過程で「元神」と「識神」は相互依存、相互補助、相互浸透するという密接な関係を呈する。つまり、後天的な学習蓄積を通じて「識神」は「元神」の開発を誘導及び激励し、また反対に「元神」は人の「識神」知識の理解を促進する。ただ、これは勤勉に学習しさえすれば、知識が蓄積され、「元神」の開発を誘導促進できるというものではない。なぜなら、「元神」と「識神」の間には特殊なコードを用いてコミュニケーションをとる必要があるからである。人はこれに対応する思考方法及び思考構造を構築して初めて「元神」と「識神」の間の連絡通路を開くことができるのであって、これが俗に言う「悟」である。
二胡の学習過程では、学習者の「悟性」を重視し、その次に「勤勉」が強調される。「元神」の機能はとても強大であり、「元神」と「識神」の間の連絡通路を開けてやりさえすれば、二胡の学習者は誰でも優秀な演奏家になれるといってよいだろう。
(略)
科学者の研究報告によれば、人が一生のうちに開発する大脳機能は10%にも満たない。残りの90%は即ち「元神」の部分である。だから「悟性」は「勤勉」より重要であることが分かるだろう。
趙寒陽著「一句話学二胡」藍天出版社、2010年1月、107~108頁。
ひょぇ~
龍海先生はわたくしに「お前、真面目で勤勉だし、悟性あるから上達するよ」って言ったんだよ…
先生の「人をその気にさせて伸ばす戦略」なのかなぁ…
しかし、「悟性」が何なのかは分かったけど、如何に「悟性」の門を開けるかは、書籍を読んでもあまりよく分からないのでありました…
「自然の流れに逆らわないこと」みたいなことが書いてありました。
いずれにしても、龍海先生はわたくしの使っていない大脳の何割かを開発してみよう!と思っていてくださっているようで、ありがたいことです(^^;
こんなド素人が楽しく練習できるのも、皆せんせいのおかげ。
先生には、ものすごく天賦の教える「才能」がおありになると思うのでありました。
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先日、紫檀の二胡を買いました。
お値段は秘密…
日本で同じものを買うとしたら、いくらくらいの値がつくのか興味のあるところ。
一般的には日本の売値の二分の一、三分の一くらいでしょうか。
日本のちゃんとしたお店でインド紫檀二胡を買えば、何十万でしょうが、わたくしはそんなお金持ちじゃありません、ほんと。

一言で「紫檀」と言ってもピンキリ。
そして、困ってしまうのが、言葉や商習慣の違い。
「紫檀」といっても、どこどこ産のXXという植物だというように限定できるものではないため、いわゆるインド産の超高級紫檀から、その他の産地の紫檀、前述の紫檀とは異なる木で紫檀によく似た木までぜ~んぶ「紫檀」と称してしまうと、どれが価値がある紫檀なのか、素人にはさっぱりわからないのです。
シタン(紫檀)とは、マメ科の常緑広葉樹のうち、木材として利用することのできるツルサイカチ属およびシタン属の樹木の総称。(略) 本紫檀、手違い紫檀(チンチャン)、ローズウッド、パーロッサなどがシタンとして使用される。タイ、ラオス、ベトナムなどで産出される。古くから利用されているにもかかわらず、その実態ははっきりしていない。現在では Dalbergia cochinchinensis が本紫檀とされている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ですから、紫檀に似たようなものを悪意で「紫檀」として高値で売る悪徳商人もいます。
そして、別に悪意なく、いわゆる日本語でいうところの「本紫檀」でなくとも、中国の商習慣によれば「紫檀」に該当するランクの落ちるものを「紫檀」と称して、お手頃な値段で売るのは別に悪いことではありません、普通のことでしょう?
それで「本紫檀」じゃないものを「本紫檀」だと思い込んで買った日本人が騙されたと思うのは、単にあなたの異文化に対する理解不足じゃねぇの?とわたくしは思ったりします。
まぁ、確かに、紫檀じゃないものを紫檀だと言って信じられない高値で売る商人もいるらしいので、中国の消費者も気が抜けませんねぇ。
ところで楽器に使う紫檀ですが、別に高けりゃいいってもんでもないらしいです。
楽器は様々なパーツが組み合わさってできているので、超高級紫檀を使ったからといって最高級の音が出るというものでもないし。
一番、影響力が大きいのは「本人の腕」だろ(^^;
で、わたくしの二胡ですが、ランクの落ちる産地不明の中国語で言うところの「紫檀」でしょう。
別に他人に転売する気はないので、日本語で言うところの別の木だったとしても、わたくしにとってはどうでもいいことです。
楽器なのだから、要はいい音が出ればよいのです(笑)
上手な方が弾けば、「細膩」(きめが細かくてなめらかである喩)な音がします。
わたくしのようなまだ1ヵ月も習っていないど素人が弾くと、そんなきめ細やかな味のある音はでません。
でも、わたくしのような者が弾いてもすごくよく響きます。
あはは、リズムと音程、狂いまくってるから、あまり遠くまで聴こえない方がいいのにねぇ…
俗に言われている初心者の音、即ち
「殺豚」(豚を殺すときの音)
「殺鶏」(鶏を殺すときの音)
バイオリン族の初心者の音にありがちな「ノコギリを引く音」
がしないだけ、一応、マシなんですが。
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