わたくしは甘い先生
自分の携帯電話のアドレスをみると、つくづく「先生」ばっかりだと思います。
弁護士が「先生」かどうかは置いといて(教えを請わなければならないことは何一つないという理由で本音は弁護士を「先生」とは呼びたくないとおっしゃる人も世の中には多数、存在するみたいですが、わたくしは別に何とも…長いものには巻かれています。)、ほんと、先生だらけ…
平日は弁護士の「先生」たちの中でお仕事。
週末は音楽の「先生」のもとで、お稽古。
ついでに、中国人に日本語を教えて、自分も「先生」と化す…
しかし、お稽古の先生というものは厳しいよね。
わたくしが現在、日本語の家庭教師をしている中国人は音楽教室の事務の先生なのですが、事務の先生とはいえ、ピアノや琵琶をそこそこお弾きになられます。
よく子どものピアノの試験前には、練習の面倒も本業の先生に代わって見ておられます。
で、彼女、いい大人になったけれども、やっぱりもっときちんとピアノを弾きたいと思い、ここ最近、子どもの頃のリベンジで、自分もピアノを習っています。
先週、先生にキツイことを言われて、レッスン中に泣いてしまったそうです。
ま、気持ちはよーく分かる。
先日ピアノの先生が彼女に「あなたの日本語の先生は多分、相当、優しいつーか、甘い人なんじゃないの?全然、おさらいしてなくても怒らないんだ?」と不思議がっておられたそうな。
まぁ、わたくしは、日本語教師として講義した経験はないけど、何人かの中国人の家庭教師は頼まれれば、これまでしてきました。
うん、わたくしは基本、とっても甘いです。
生徒がやらなくても怒らない(^^;だって、上達したけりゃ、やるしかないわけで、サボればそれなりの効果しかなくて、全部自分に跳ね返るだけで、わたくし自身、別に痛くもかゆくもないもんねぇ…
それに、わたくしの場合、文法をきちんと教えられないし(右脳で言語を理解する人だから…)
こう言ってしまうと、すごい無責任な先生ですね、ワタクシ。
でも、目的のある人は最後はちゃんとやってるくるから、放し飼い状態。
そこいくと、音楽の先生というのは、ものすごく厳しいですよね…
かなりキツイこというし…
レッスン中に泣くなんて、結構、皆経験あるよね。
ちなみに、わたくしが通ったことのあるところなんて、音大付属とか目指している立派な音楽教室ではなく、あくまで趣味教養レベルの教室ですけど。
あ、でもカルチャーセンターみたいなところだったら、生徒を泣かせることはないのかな。
(行ったことがないので分からない…)
もっとも、才能のあるなしなんて、かなり上のレベルの人の話であって、それ以前の問題としては結局は練習量の多い少ないの問題だから、「なまけるな~」とカツを入れたくなるのでしょう。
そこまで生徒に感情移入して、疲れないかなぁ。
(ちなみにピアノの先生方は日本人のお子さんは真面目に練習してレッスンに来るからやりがいがあるけど、数年で帰国してしまい、これからだっちゅうところで手放さなければならなくなるので(?)、とても悲しいのだとか)
専門家の練習量と言うのは半端じゃないので、それに比べれば、1日1、2時間の練習なんて練習のうちじゃないのでしょうね。
この点、語学と一緒です。
かなり上のレベルの人になるには「才能」が要りますが、ビジネス会話程度じゃ、単なる「慣れ」だよね。
どれだけ、使ってきたか、それにすぎないのだと思います。
洛格多謝
「洛格多謝」という文字を見て、あなたはどのような食べ物を思い浮かべましたか?
先日、パン屋でこの文字を見て、「う~ん、実に美しい情景が思い浮かぶ『当て字』」だと感心しました。
「多謝」は「どうもありがとう」の意です。
「洛」は、陝西省南部に源を発し、河南省に流入する川の名前で、古都「洛阳」がその下流にあり、なんだか美しい都をイメージさせます。
そして「格格」といえば、満洲族の皇女と内親王に対する呼び方なので、綺麗な女の子を思い描きました。
それから「くすくす」という感じの笑い声にも聞こえますね。
古都で女の子が「くすっ、どうもありがとう」と言っている…
なんて、美しい食べ物!!!
(わたくしの想像力に問題あるのかな?)
で、答えは何かって?
そのまま中国語で音読してみてください。
「らんぐとぅしぇ」
答えは「ラング・ド・シャ」でした。
焼き菓子のひとつ。クッキーの一種で、軽く、口中で溶けるような食感が特徴。「ネコの舌」の意味で、形が似ていることから名づけられた。
室温で柔らかくして練ったバターと同量の砂糖を合わせ、それに小麦粉、卵白、バニラエッセンスを加えて生地を作り、薄く細長い棒状にオーブンで焼き上げたもの。
出所:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【後日談】
もういちど、その店に行ってみたら、「浪格多謝」と書いてありました。
わたくしの見間違い???(たぶん、そう、ごめんなさい)
でも、「浪漫(ろまん)」の浪だったら、もっと美しい…
熟練、上手、下手の言葉の真意
中国語と日本語でニュアンスや意味の違う言葉があることは、昨今よく知られているところですが、今回はお稽古ごとに関する語彙で不思議な言葉を紹介しましょう。
中国語の「熟練」を辞書で引くと、次のとおりです。
shúliàn【熟练】
熟練している.上手である.
¶她打字很~/彼女はワープロがとても上手だ.
¶你的日语说得还不够bùgòu~/君の日本語はまだあまり上手ではない.
¶~工人/熟練工.
小学館日中・中日辞典 第2版
じゅくれん 【熟練】
(名・形動)スル [文]ナリ
十分に経験を積んで、上手なこと。高度な技能と経験を有すること。また、そのさま。
「―した運転」「―労働者」「―な漁師は/土(節)」
三省堂 大辞林
ふーん。日本語と同じ意味だね。と思って油断してはいけない。
以下のような中国語は「上手」と訳すわけにはいかないでしょう。
「老師,怎樣努力也彈不了這個小節(先生、どうやってもこの小節が弾けません)」
「熟練,就好了!(直訳誤訳:“熟練”すりゃいいんだよっ)」
辞書通りにそのまま訳しちゃうと「上手になれば、よいのです」となってしまい、禅問答ですな…上手だったら、練習する必要ないじゃん(^^;
ニュアンスを正確に訳せば、「慣れるまで練習しろ!」ということでしょう。
もっとも「熟」という言葉の意味には「慣れる」という意味もあるから、よくいわれるように、「ご飯を食べるのと同じように、日常になるまで、練習し続けろ」ということですな。
次は「上手」
これを中国語の辞書を弾くと
shàngshǒu【上手】
(1)始める.取りかかる.
¶今天的活儿一~就很顺利shùnlì/きょうの仕事は始めからとても順調だった.
(2)〈方〉手を出す.
¶这点儿事你们就别~了,我一会儿就干完/君たちはこんなことにかかずらうな,私がすぐにかたづけてしまうから.
(3)(~儿)順調だ.
¶工作很难,总zǒng不~/難しい仕事で,なかなか軌道に乗らない.
小学館日中・中日辞典 第2版
となり、日本語の「上手」という意味はまったく見当たりません。
でもね、琵琶について調べたりすると、例えば次のような文章に出くわします。
小孩子学琵琶。手指长度不够,在练琴时有困难,抱琴也有些困难。 还是鼓励年纪很小的小朋友学古筝,上手快些。
(参考訳:子どもが琵琶を習うということですと、指の長さが足りないので、練習や構える時に困難を伴います。とても小さなお子さんが琴を習うのであれば、上達するのも早いのでおススメですね。」
ニュアンス的にほとんど、「上手」と同じ意味で使っているよなぁ。
軌道に乗るのが早いというニュアンスなのでしょう。
それに対して中国語の「下手」には日本語の「下手」と同じ意味はみじんもありません。
中国語の意味は、基本的に漢字の意味そのままです。
「手を下す」(なんかこわ~い)
そもそも「手を下す」ことがなぜ、物事のできが悪いことを指すようになったのか、疑問ですなぁ。
と思ってネットで調べてみると「端」や「辺」が語源なのだそうで(末端とか底辺にいる人ってことなのでしょうね)漢字で「下手」と書くのは「下等」からきているのだそうな。
参考:語源由来辞典 http://gogen-allguide.com/he/heta.html
「弾」かない楽器もあるのでは?
日本語っていい加減だと思いませんか?
時々、不思議に思うのですが、日本語だとたいていの楽器について「XXを弾く」と言いますよね?
でも「弾」というのは弾く(はじく)行為ですから、わたくしなどは、バイオリンを「弾く」とかいう表現はかなり気持ち悪く感じます。
その点、中国語はどういう行為をするのかが非常に明確で分かりやすい。
バイオリンや二胡は「拉」
弓を引っ張る行為です。ちなみに、よくドアにも「拉」「推」と書いてありますが、この場合、「引く」「押す」の意味です。二胡の奏法には構造的に押さえる弓使いがあるので「推」とうのもありますね。バイオリンには「推」はないと思う…
ピアノは「弾」
ピアノは弦をハンマーで打つ行為ですが、大げさに弾くことと打つことは似ているような気がするのでワタクシ的には納得できます。
ギターや琵琶、琴などの弦楽器は「弾」
弾く(はじく)行為です。弦楽器の奏法で「弾」といえば「ダウン」を意味します。「アップ」は「挑」(すくい上げる)です。「トレモロ」は「輪」(アップとダウンを繰り返すからなのか?)
フルート、笛子、蕭は「吹」
息を吹きこむからですね。
歌は日本語だと「歌う」ですが、中国語だと「歌」より「唱」という動詞を用いるのが普通です。だから「歌を歌う」を中国語に訳せば「唱歌」。「唱」という動詞がとる目的語は「歌」だけにとどまらず、「唱劇」と言うのもありです。つまり、京劇みたいに歌って踊って演ずるものは「唱劇」ですね。
言語の混乱
さきほど、日本語が変というか中国人ぽい日本語だと日本人に指摘されました(たら~)
中国人と日本語と中国語をちゃんぽんにしたような会話を長年続けているせいと、ここ最近、中国語の論文を書いていたせいで、頭が中国語の思考回路のまま日本語を扱うからなのだと思います。
わたくしの生活環境では日本人と正しい日本語で長時間会話する機会はあまりありません。
しかも、最近、事務室に新たに加わった中国人実習生と米国人がしょっちゅう、英語と中国語をちゃんぽんにして会話しているので、頭が変になりそうです(^^;
他人の英語の会話の途中で中国語で相槌打ったりするわたくしって可笑しすぎ。
プロなら、日本語は日本語、中国語は中国語と割り切って、きちんと二つの外国語の間を行き来できるのだと思いますが、わたくしはその辺がいい加減なのでしょうね。
こんなことを書くと、相当、中国語が上手いのだと勘違いされそうですが、もともと外国語の成績は子どもの頃から悪くて、「感覚」と「習慣」で中国語を扱っているにすぎないのです。
右脳で言語処理してそうな感じです(^^;
言語だけで飯を食っている人はこんなミスしないんだろうなぁ(反省)
語学と音楽の共通点
前に書いたかもしれないけど、「語学」と「楽器演奏」は非常に似ていると思います。
語学教師、音楽教師でこう言った人を数人知っています。
わたくし自身もそう思います。
わたくしには語学の才能はさっぱりありませんが、しゃべらざるを得ない環境にしばらくいたので、それなりに中国語の読み書き会話ができますが、決して上手いわけではありません。
いまだに、初対面の人に「あ?」と言われることがあります。
要は訛っているし、大きな声で話せないから、聞きとりづらいのでしょう。
悲しいね。
語学も音楽も、以下の点で同じだと思います。
教師になるのでなければ、才能なくてもある程度のところまではいける
ある程度のところに達するためには、努力って言うより、「慣れ」
毎日の習慣にすることでしょう。
語学教師も音楽教師も、皆、基礎練習みたいなことは、ご飯食べるのと同じだとおっしゃる。
ちなみに、わたくしは中国語、下手くそだけど、無意識に中国語で思考している時もありますし、日本についたばっかりだと、本人は日本語をしゃべっているつもりで、中国語の分からない日本人に延々、中国語を話していたりすることがあります。
言えることは挫折しやすいので、マスターするには、よほど「好き」か、よほど「やらざるを得ない」状況が必要だと思います。
ついでに言うと、よほど好きでも「辛い」ときがあるので、それ(語学・音楽)を通じて、あんたは何がしたいの?っていうビジョンが要るのではないでしょうか。
わたくしは、どっちも、結局マスターして、何がしたいのか、何ができるのか、分からなくなってしまったことに、ウツの原因があるのではないかと思っています。
もちろん、趣味の語学や音楽は、ただ「楽しい」だけってのもありなのかもしれませんが、ちなみにわたくしは語学を楽しいと思ったことなんて一度もないです(^^;
中国のことを知りたかったら、やらざるを得ないってだけなんで。
「研究」は楽しいと思ったことは過去には何度もありますが、最近はとにかくスランプ。
音楽は、童謡ひきまくっているだけなら単純に楽しいですけど、ちゃんとした練習曲やまっとうなクラッシックやポップスをひけと言われると、ひけないので楽しくないですねぇ。
自分の音の録音を聞いた時なんて、最悪。
いっそ、音感もリズム感も相当悪かったら、自分のできなさ加減に呆れることもなく楽しいのかもせませんが…
何度見ても校正ミスはあるのよね
校正に関係のあるお仕事をしていらっしゃる方は、その怖さをご存じだと思います。
先日、あるクライアントの契約書を渡され、大丈夫だと思うけど念のために日本語と中国語を照合してほしいとのことでした。
わたくしはそのミスを見落としてしまいました。
さいわい若い弁護士さんは目ざとく発見しました。
「…すべての権力を譲渡する。」
もし、翻訳に関係なく、まっさらな状態で普通に日本語だけ又は中国語だけ見たら、どう考えたって原文作成者が「権利」と打つべきところを「権力」と打ち間違えたなと気づく文章ですよね。
私人間の契約に「権力」は出てこない言葉ですもん。
(ちなみに中国語では権力と権利は同じ発音記号になりますから変換ミスでしょう。)
これを見ながら若い弁護士さんと、
「朕はすべての権力を我が愛妃に譲渡する~」
とかいう契約書や遺言を書いてみたいよと大笑いしました。
バカなこと言ってないでちゃんと仕事しろって。。。
中国語の意外な(邪道な)上達方法
先日、街中の書店でCDを購入しました。そのCDは、洞簫という日本の尺八の原型といわれている中国民族楽器とピアノの合奏により、古典曲などが収録されたもので、発行は2005年とさほど新しいものではないのですが、なかなか素敵な音でした。
それとタイトルの「中国語の意外な(邪道な)上達方法」とどういう関係があるかって?
まぁ、そんなに結論を急がないで、話につきあってくださいな。
そのCDの説明文で蕭の演奏家陳悦さんがおっしゃっていることが大変、印象に残りました。
引用及び翻訳させていただくと…
「管楽器の演奏で最も重要なのは、息のコントロールです。ですから、管楽器は人の声に最も近い楽器と言ってよいのではないでしょうか。私は声の代わりに蕭と笛子、つまり東方の古い歴史をもつ楽器を用いて現代人の感じたことや心情を歌っているのです。」
中国唱片総公司出版 北京普羅之声文化伝播有限公司製作発行「乱紅」発言者:陳悦、執筆者:郭婷婷。
どこが、わたくしの興味を引いたかといいますと、笛の音は「人の声に近い」というところです。
横笛や縦笛は世界各国に存在し、日本にも篠笛や能管、尺八など蕭や笛子と似たような楽器があるわけでこれといって珍しくはありませんし、構造的に似ていると言えばフルートもこの類なわけですが、その演奏方法や表現の仕方を比べると、蕭や笛子は中国語っぽいうことを最近何となく感じているからです(感覚的なものなので、笛子と篠笛、蕭と尺八も似たようなもんじゃん、という方もいると思いますが(^^;)。
わたくしは日本のカトリック教会のミサに出ると正直、退屈でしょうがない…
いいか悪いかの問題ではなく、自分の性格にあっていないんですよね。
もっと楽しく「神様ありがとう~~~」って歌いたいのですが、日本語ではそうはいかない。
延々全音符にスラーな(わたくし的には)かったるいフレーズが続くのであります。
少し話がそれるかもしれませんが、うちの父方、母方の祖父母は熱心で敬虔な仏教徒でしたから、わたくしは子供のころはきちんとお経が読めまして(今は忘れました)、南無阿弥陀仏はかなり中国語的だと思います。(「なんまいだ、なんまいだ~」という単調なやつではなく、横に音程のような記号が書かれていて「なぁぁ~~~、あ~~~~あぁ、あみぃぃぃだぁ、あ~~~~あぁ~~~あっ、あっ、あっ、ぶうぅぅう」と時間をかけて歌のように読む非常に疲れるやつを指しています。読んだことありませんか?正式には何というのだろう…(^^;)
だからなのかもしれませんが、日本人の話す中国語は一般的に変かも。
超初心者の中国語は、最初はまず通じません(中国語には日本語にない音が多すぎるし、音を急に上げたり下げたりできないから)。
次に上達してくると、いかにも「日本人です」と名札の付いたようなカタカナ中国語だけど、内容が複雑でなければ中国人に何とか通じる中国語を話せるようになってくる。
そして、もう少し上達すると、「あんた、どこの出身?(どこの田舎から出てきたんや、こいつ…)」と尋ねられる訛った中国語が話せるようになります。
一部の音がやはり中国語のように発音できないか、四声を間違うからです。でも、前後の文脈で意味が取れたりするものです。そして中国は広いのでわたくしより標準語の発音が苦手な中国人も現にいたりするのです…ある中国人兄弟子は北京に来て何年もたつのに相変わらず発音が矯正できなくて「お前の方が標準語みたいだよな」と嘆いておりました。
そして、この次の段階になると、中国人アナウンサーのような中国語が話せる日本人も存在するわけです(このレベルの人はプロの通訳者でしょう。また、通る声できちんと人前で話す習慣があるため、声の大きい中国人と変わらないという感じ。)
最近、購入した電子メトロノームはチューナーもついているので、それで面白がって自分の声は十二平均律の絶対音階のどのあたりでしゃべっているのか気になって遊んでみました。
日本語ではわざと音域を狭くして棒読みしてもかろうじて意味は通じますが、中国語では音に高低をつけないとほとんど意味不明となります。「中国語って歌っているみたいだよね」とうちの旦那さんが言うのも頷けます。
しかも、中国人は声がでかくて、普通にしゃべるだけなのにこの人、腹式呼吸してる(?)って感じですよね。
それから、中国の笛には「花舌」といって、舌先又は舌の根元を震わせて、「トゥルルル~~~~~」と出す音があるのですが、これは聞くところによると西洋のフルートの技術にもあるらしく、これがどうしてもできない日本人がいるのだとか。
ちなみにこれを練習するとき、中国人はよく舌先を震わせる場合は「特冷」(超寒いの意味です。発音記号はte4leng3)を早く繰り返し言ってみろという教え方があります。確かにこれをめちゃくちゃ早く繰り返し言おうとすれば、舌が面白い動きをします。舌の根元を使う場合は「河」(発音記号はhe2)と言うつもりで息を強く入れてみると口の中で簡単に振動が起こります。ちなみに後者の発音は、夫に聞いたところによれば、ドイツ語にも同じようなものがあるそうです。ゴールデンウィークに夫が北京に来た時に二人で、「げろろろろろ~~~」と音を出してみて、あぁ似たようなものだねと確認しました。外国語ができない日本人には「ゲロゲロうがいをしながら笛を吹いてみたら?」というしかありません。日本語では通常、こんな音を出さないものなぁ。
先日、ある方に中国語が上手くなるにはどうすればいいかと聞かれたのですが、その時は、言わなかったけど中国語の意外な(邪道な)上達方法は、もしかすると音の上下が激しい歌を正確に歌うことなのでは?と思った次第です。
そして、道を歩きながら数メートル先の人にも聞こえるような大きな声で恥ずかしがらずに歌を歌えるようになれば、あなたも中国人の仲間入り。
「とっさの一言」はセリフの朗読ではなく、オペラを演ずるつもりで言ってみればいいのでは?
情緒的な日本語、論理的な中国語
昨夜、武吉次朗著「日中中日翻訳必携」、日本僑報社、2007年を読みました。
コピーは「翻訳の達人が軽妙に明かすノウハウ」というものです。
なるほど、確かにそうだよね、ということがいっぱい書いてありました。
中国語がある程度できる方は読んでみると納得できることが多いと思います。
わたくしの翻訳は、客観的に見て「硬い」です。自分でもよく知っております。
もっとも、弁護士の意見書や論文の翻訳がメインなのですから、それでいいと思っておりますが。
でも、その気になれば、一般文書も、ラブレターも、ライトノベルも書けますよ(^^;
せっかくなので、書籍の内容を一部紹介しましょう。
<情緒的な日本語、論理的な中国語>
「携帯電話の使用はお控えください」
これは「お願い」なのか、「要求」なのか、ある人が私鉄会社に尋ねたところ、「禁止することです」との答えだった由。以前、中国の列車に乗った時、「厳禁…」が10くらい並んだ規定が目の前に貼ってあり、見ただけでクラクラした。日本の映画館に入ると、スクリーンの横には「禁煙」と書いてあるが、アナウンスは「たばこはご遠慮ください」
中国語なら当然、お控え、ご遠慮などとは言いませんね、「やめろ」と言いますヾ(^^;
「あなた、お茶が入りました」
金田一春彦氏はこれを、「なんと美しい言葉であるか」と絶賛する。
いや~原節子さんとかが出てきそうな台詞ですな。
他の言語だったら、誰が何をしたかを明確にしないと文章になりませんが、日本語は便利なことにお茶が勝手に入ってくれちゃうわけです(^^;
恩着せがましくない日本文化らしい表現です。
ちなみに日本では夫がよくコーヒーを淹れてくれますが、確かに彼も「コーヒーができたよ」と言います(^^)
「電話が少し遠いようですが・・・」
初めてこれを聞いた中国人は、たいてい面食らう。相手の声が小さくて聞き取りにくいのを、日本人は電話機のせいにするのだから。
もちろん、わたくしが中国語で中国人に言うときは「よく聞こえないので、もう少し大きな声でお願いします」とはっきり言いますね。ただ、携帯電話等は本当に電波が悪いときがあるので「電波がよくないので聞こえなかった」とは言いますが。
ちなみに、わたくしは中国語の論文を書くときは、日本語の下書を書くことは絶対にありません。
そのままストレートに中国語で書き始めます。
日々の考え事も、仮想の読者や聴衆が中国人であれば中国語で思考しております。
ですから、中国語で話すときのわたくしはハッキリした性格になります。
わたくしはXXと思う、大多数の者がXXと思っていると言わざるを得ないからです。
XXであろう、XXだと思われるなどという、何だか事柄が勝手に発生したような、誰が言っているのか主体が不明確な言い方ができないからですね。
人民法院案例選
1年前のお正月に書いた原稿が「人民法院案例選」最高人民法院中国応用法学研究所編、人民法院出版社に収録されていたようで、先日、最高人民法院応用法学研究所に勤める姐弟子が送ってきてくださいました。
内容は日本の判例とは何ぞやから始まって、判例のリサーチ方法の説明なので、日本の法学部生なら誰でも知ってるよね、ってな他愛もない文章なのですが、できる限り中国人のWHYに答えようと試みたという点で工夫したつもりです。
「日本は成文法の国で、判例法の国じゃないのに、なぜ、判例に拘束力がある(ように見える)のよ?」なんていう素朴な疑問に答えてみようかなという意図で書きました。
しかし、これも深くつきつめれば、それこそ本が一冊書けるような大問題なので、わたくしのようなヒヨッコが先人の研究のエッセンスを引用して簡単に説明するのは大変でした。
中国にも判例によく似た「案例」なるものが存在し、便宜上「判例」と訳しますが、厳格に訳そうとすれば困りますね。
日本のような小さな国で、しかも、人と異なった行動をとることにひどく恐れる日本人社会では、似たような事件に似たような判断が下され続けて慣習法が形成されるのに何ら不思議なことはありませんが、これが中国ともなると都市と田舎、北と南、西部と沿岸部、漢民族とXX族で考えが異なるなんて当たり前ですから、日本のような判例が形成されるということは理解しがたいのかもしれません。
わたくしはこれまで日本の法学部出身者にとって当たり前すぎることを中国語で書く機会をいただくたびに、中国語のできる賢い弁護士がこんなにたくさんいるのに、なぜ自分に話をふってくれるのかよくわかりませんでした。もちろん、わたくしはエリート学者、公務員、弁護士と違って比較的書く時間があるし、大層な報酬を請求したりしないし、自分のポリシーに反する内容でなければ喜んで原稿を書くからというのも大きな理由でしょうが、最近思うに、たぶん、通常の日本人又は中国人は、日本か中国のどちらかだけで学士、修士、博士を連続して取得する人が多いのに対して、わたくしは普通に日本の法学部で日本の法律を勉強して、修士課程は日本で中国の法律を勉強して、最終的に博士課程は中国で中国人の先生や学生相手に、中国法の土俵で勝負しても勝ち目がないので、日本法はこうなっているんですということを外国法と対比させながら説明してきたため、中国人は日本のここが、日本人は中国のここが変だと思うツボみたいなもんが、なんとなく分かるからではないかという気もします。
ある意味、奇怪な経歴(短所)は、最大の強み(長所)でもあるということなのでしょうか。
ところで、この解説文の著者名を「荻原有里」とミスプリントされてしまいました。
申し訳ないと思った姐弟子は、人民法院の便せんを使用して、荻原有里は萩原有里の誤りですとの証明書を添えてくださいました。
中国人は「萩(はぎ)」という漢字を一般的には知りません。100%「荻(おぎ)」だと勘違いします。日本人の知人にですら「おぎわらさん」と呼ばれることがあるので「ありさんと呼んでくれ」と言っています。
人によってはどっちだったか自信がなくなるのであえて名前で呼んでくれる人もいます。
有里は「ゆり」ではなく「あり」と読まなければならない厄介な名前なので、困りものなのですが。
知人の中にはわたくしを「ゆり」または「ゆうり」だと思っている人が少なからずいます。
珍しい例では「ゆか」さんだと勘違いしたまま、本気でそう呼びかけ続けてくださった人もいるのですが、きっと前の彼女が「有加」さんとか「有香」さんだったのでしょうね。
パスポートがARIなので今さら、自己の都合で読み変えられないしなぁ。
もっとも自分の名前がある程度認識されれば、誰も校正ミスをしないわけで、そうなるまで頑張り続けるしかないのでしょうね~(笑)