0

大生活

Posted by 游鯉 on 7月 2, 2009 in 暮らしを彩る, 読書感想文, 雑感あれこれ

先日、「大生活」というドラマをみました。
高層ビルのマンションに住んで、食べたい物が食べられて、したいことは何でもできる、そんな生活をしてみたい、そういう願望を一度も持ったことがない人というのはいるのでしょうか。
そして、誰でも程度の差はあれ、「生きることは苦しい」を考えたことがあると思います。
わたくしも心を相当病んでいるときは、毎日、消えてなくなりたいとか、この窓から飛んだら楽になれるのかなぁとか、思っていました。
このドラマのテーマは「生まれてきたからには、生きるしかない」です。
舞台は成都、主人公は40代のユーモアあふれるお人よし男性、柳東です。
勤めていた自動車修理工場が倒産、街頭で靴や果物を売って生活をつなぎ、その後、街頭の清掃員になります。
はっきりいって貧乏です。
また損な役回りと知りながら、他人を助けたりするお人よしです。
彼の周囲にはいろいろな人が登場します。
遺棄児童で路上生活の後、柳東に養ってもらう小学生の魚児ちゃん。
悪い奴じゃないんだけど、たびたび警察沙汰を起こしてしまう弟、柳西。
口先ばかりのでたらめで、人を騙したり騙されたりして訳のわからない商売をしている友人、金東民。
田舎から歌手になることを夢見て成都まで出てきたけど、お金をだまし取られて、テレビドラマのちょい役を必死に得るために助監督と寝るけど、結局、役は自分に回ってこなくて、絶望から自殺を図る張紫雲。でも、柳東に何度も助けられて、最終的には歌手デビューするんですけどね。
お金持ちだけれども、ガンで余命いくばくもない高明。高明は子どもに恵まれずその財産を自分の実の子に譲れないのが心残りで、自分の未婚の妻に知的障害者の実の兄と関係を持ってくれと頼むのですが、わたくし的にはあほかと思わざるを得ない…
もし自分がそんなことを頼まれたら、ぶん殴りますね。
「そんなことで悩む暇があったら、孤児院とか、学校に寄付しろ、孤児10人と養子縁組しろ!」と言います。
これだけお金があったら、わたくしなら教育関連事業、特に農村の女児教育に役立ててくれと遺書を残します。
そして、お金持ちの高明と貧乏でお人よしの柳東の間で揺れる洪雨。彼女は結局、高明の理不尽な依頼を引き受けて知的障害者の高明の兄と関係をもつことを承諾するのですが、高明の元恋人で秘書の梁麗の罠にかけられ、高明の運転手の子どもを身ごもってしまい、高明に冷たくされます。
中国はものすごい格差社会だと思います。
最下層にいる人が上層の生活を望む気持ち、よくわかります。
日本社会に比べて何でもありの幅が広い中国ですから、手段を選ばずにのしあがる人は、現実の社会でも多いのだと思います。
きれい事だけでは、なかなかのしあがれないので、皆涙を流すことになるわけですが…
このドラマのよいところは、貧乏だけど何とかなる、と笑えるところ。
決していい暮らししていないのに、主人公にかかわった人たちが幸せ感を得られるところでしょうか。
実際、他人助けは自分助けになる…中国人がよくいうセリフです。
昔、植木等さんの歌で「仕事のないやつぁ俺んとこへ来い! 俺もないけど心配すんな」という歌があったそうですが(夫に昔教えてもらいました)、まさにそんな歌が似合うドラマかなと思います。
本筋からずれますが、このドラマのセリフを聴くことは標準語の勉強には不利です。成都の庶民の話し方は、少し変わっています。
もちろん、上海とか広東とか、全く別の言語というほどの隔たりはありませんが、すごく特徴的な訛りと声調の変化がありますので…

 
0

おひとりさまの必需品

Posted by 游鯉 on 6月 12, 2009 in 読書感想文, 雑感あれこれ

日経ビジネスオンラインネタであります。
おひとりさまの人生メンテナンス術
特別対談 上野千鶴子×深澤真紀
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090604/196681/
わたくしも「おひとりさま」みたいなものですから、興味深く拝見していたりします。
母と夫の介護が終わったら、貧乏で孤独な老婆というのが行く末かなぁとか思っていたりするので。
深澤 女1人で暮らしていて、電球を取り換えられなかったり、瓶のふたが開けられなかったり、固いネジが回せなかったりすると、「こんな時に男がいてくれたら…。ひとり暮らしってつらい」って思ってしまいますからね。
上野 確かにそう。
深澤 こういうちょっとしたことが、“おひとりさま”を生きるためのメンテナンスになると思うんです。
上野 全くそうね。
しかし、上記は自分には全然、当てはまらないのね。
わたくし、身長が177センチもあるでしょ。ついでに腕も長いのね。
だから、天井が低い家で、腕を思いっきり上に伸ばしたりすると、冗談抜きでツキ指とかしちゃうわけで…。
前に友人宅で、電球を椅子にも乗らずにそのまま、ひょいと変えてあげたら、ものすごくびっくりされました。
通常の天井では椅子なんていりません。
それから…実はわたくし握力がすごくあるのね。
手がもともと大きいってことが関係あるのかもしれないけど、明らかに普通の女子や軟弱な男子より強い。
もっとも、ごっつい男性には全然かなわないのだけど。
だから、蓋も自分で開けられる。
でも、これは黙っていれば誰も知らないことなので、男性が「かしてごらん、開けてあげる」と申し出てくれた際には、「ありがとう~~~」と可愛いふりをしておきます。
それから、もともと工作が好きなので、ねじを回したりする必要のあるお仕事、水道の蛇口に濾過機をつけてみるとか、全自動洗濯機のホースの設置とか、全部自分で出来てしまうのね。
そういえば、ビデオやパソコンの配線だって分かるし…
(男性がわたくしに設定の仕方を聞いてくることもあったりして)
可愛くない女だなぁと思います。
そんなことより、こんなときに男性がいてくれたらなぁと思うのは、外食するとき。
わたくしは食べる量が少ない。
一人ではたくさん注文できないので二人だと便利。
お肉とか食べられないので、自分が食べられないものを相手が食べてくれる。
先日、上野でもんじゃ屋に一人で入ったのだけど、一種類のもんじゃしか食べられないから、つまんなかった。
旦那さんと一緒だったら、二種類頼んで、わたくしが四分の一の量で二種類の味が味わえたのに…と思って何だか非常に寂しくなったのでした。

 
0

田山花袋の蒲団に考える

Posted by 游鯉 on 6月 3, 2009 in 読書感想文, 雑感あれこれ

今日の日経ビジネスオンラインに古川 琢也「若い子にモテたつもりで、『蒲団』に突っ伏して泣かないために~「尊敬」を「恋愛」と取り違えた男の悲喜劇」と称して「蒲団・重右衛門の最後 」田山花袋著、新潮文庫、362円(税抜き)の書評がアップされていました。
中年の作家が若い女性の弟子に惚れ、最終的に弟子が使っていた蒲団に顔を埋め、匂いを嗅ぎながら泣くという、ちょっと引いちゃうあらすじはよく知られていると思います。
古川 琢也氏はこの話と昨今の大学教授のセクハラ訴訟を重ねてみると、かつては原告と被告のどちらかが嘘をついていると思っていたが、この本を読んでみると、どっちの言い分も本人サイドからしてみたら真実なのだろうなぁ述べられた上で、何も作家や大学教授に限らず、一般企業人で指導的立場にいる人にも当てはまるんじゃないかとお書きになっておられます。
教わる側が向ける尊敬の念と、恋愛に特有なロマンティックな感情とは必ずしも重なるものではない(というよりむしろほとんどの場合、根本的に別物ですらある)ということをよくよく理解しておかなければいけない。そのあたりを早合点すると、我々も蒲団に突っ伏して泣くことになる(くらいで済めばまだいいが、 改正男女雇用機会均等法も施行されている現在、場合によっては民事事件、刑事事件の被告にもなりうる)。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090602/196450/
わたくしには大好きで尊敬しているご年配の先生や兄弟子、仕事相手がいっぱいいますから、そういう女性の気持ちは本当によく分かります。
もし、わたくしが美人だったら、先生や兄弟子は変な気を起こしたかもしれないので、今になって思うと、美人でなくて、よかったなぁと思ったりするのです。
ところで、古川氏はこうも書かれておられます。
とはいえ世の中のあらゆるケースに例外があるように、この場合も例外、つまり「尊敬」と「恋愛感情」が重なってしまうことがまれに実在するから困ってし まう。そうした少数の例外がある以上、「他の連中はどうあれ、俺は違う気がする」と思ってしまうのも、また無理ならぬことだ。

これも、よく分かります。
わたくしは例外も経験しておりますから。
なぜなら、わたくしの夫は大学の教員で、それこそ、この「蒲団」の主人公と弟子の年齢差よりも大きい年齢差があったりします。
石川氏は男性なので、若い女性の気持ちは体験できないからか触れられておりませんが、若い女性は、容易に「尊敬」と「恋愛」を錯覚、つまり自分自身でも取り違えることがあるので、話はもっとやっかいですね。
わたくしもかつては若い女性だったので、若い女性の気持ちはよく分かります。
わたくしの想像ですが、宋慶齢と孫文の結婚にもそういう感じがあったのではないでしょうか。
ぶっちゃけた話、わたくしも夫に初めて会った頃は、おそらく「尊敬」と「恋愛」を錯覚していたような気がしないでもありません。
(もちろん、それだけでは今に至りませんが。)
これまで、セクハラ訴訟の原告にもならずに、上司の愛人にもならずにここまで平穏無事に生きてこられたのは、おそらく、わたくしが美人でなかったからなのだと思います…

 
0

北京空港事情

Posted by 游鯉 on 5月 18, 2009 in 読書感想文, 雑感あれこれ

さきほど、北京に到着いたしました。
それで、なぜ職場にいるのかといえば、重い荷物を背負ってエレベータのない6階の我が家にたどり着けそうもなかったから。
先に書籍や、最近子どもを生んだ弁護士さんに頼まれていた粉ミルクなどの重い荷物を事務室に放り投げてから帰ろうと思った次第です。
オフィスビルの1階で、「今から残業!!!」と驚かれましたが、前述の理由を述べたら「なるほど」と納得していただけました。
空港からうちの事務所までは距離的に近いため、タクシーの運転手はあまり乗り気ではありません。
空港からものすごく近い場合は、時間以内に空港にまた戻ってくると長い列に並ばずにお客を待つことができるというルールがありまして、運転手によってはこの微妙に近い距離ではその手がつかえないため、「頼むからゲートで行き先をXX旅館(ものすごく近い)と言ってくれ」とお客にお願いして、思いっきり飛ばして運転する方がいます。
前回は頼まれて嫌と言えずにちょっと怖い思いをしましたので、そういうお願いをされませんようにと祈り続けていました。
幸い、そういうことはなかったのですが、運転手さん、ちょっと無愛想でした。
ごめんんさいね、お金にならないお客で。
では、そろそろ帰って寝ます。
おやすみなさい。
豚インフルエンザのせいで検疫が混雑していたけど、日本ほどは待たされないし、日本の空港のように消毒液をご自由にお使いくださいとか、そういうことはないところが、なんつーか、やはり大陸的だと思うのでありました。

 
0

読書について

Posted by 游鯉 on 4月 6, 2009 in 読書感想文

「読書法」に関する書籍は、今も昔もよく見かけますね。
本書は、「読書法」のヒントを「ハック」という言葉を用いて「アウトプット」のための読書を提案しています。
まぁ、わたくしもわたくしの友人たちも、よく本を読む人ばかりで、本が苦手だという人がいないので、全然参考にならない部分もたくさんあります…
自分の図書コーナーをもつとかの提案なんかは、友人たちは図書室や書斎をとっくの昔に持っているので、この点、全然、参考にならないでしょう…
ちなみに夫は研究室に本をほとんど置いているので、家にある本はほとんどわたくしのものです。
しかしながら、わたくしの本もほとんど中国にあるので、完全帰国の際にはどこにしまったらいいのか、考えると怖いです。

READING HACKS!

著者:原尻淳一
価格:1575円(税込)
時間:5時間23分30秒

ところで、本論からははずれますが、本にのめりこむためのハックで「集中力」について言及していました。
漫画家の浦沢直樹さんは、ネームを書くときにすぐに集中できるといい、脳科学者の茂木健一郎さんもパソコンの電源をONにするとすぐにお仕事モードになれるそうで、筆者もここで受験勉強のときに、6時間も勉強したのに30分くらいにしか感じなかったとの経験を語っています。
筆者はこのときは若くて欲がなかったので、意識的にこれを技術として考えることを忘れちゃった、もったいないことをした、今もいろいろ模索中だと語っています。
う~ん、集中力に関して言えば、わたくしも集中力に関して言えばものすごいんで、あえて技術として身につけようとか、苦労した経験はありません。
もちろん、不得意な仕事をいやいやしている場合は、周囲の音がきちんと聞こえていますが、そうでない場合、人が近づいてきても気付かないことが多々あります。
電話がなっていることに気付かない場合もあります(^^;
「どうして電話にでないのよ」と問い詰められたことがあります。
電車で寝ていて乗り過ごしたことはありませんが、本を読んでいて降りる駅を忘れた経験は多々あります。
すぐに集中モードに入れない人は、集中のための儀式といいますか、集中スイッチといいますか、つまりXXすると、「さあやるぞ」となるようなしくみを確立すればいいわけで、この際のXXの種類を増やせばすぐに集中できるようになるわけだというようなことがハックとして提案されております。
わたくしがどこでも集中できるのは、単に学習環境に恵まれてこなかったってこともあるでしょうか。
大学入試のための勉強は、通勤時間の電車の中でしました。
大学入学後、期末試験中は、半日休暇をもらって喫茶店へ行き、そこでケーキセットを頼んで、夜の講義に間に合うように復讐するのですが、当然、店内は普通の人の普通の雑談が飛び交っています。
ところで筆者は、脳のくせとして、視覚と聴覚を同時に処理できるかという実験をして、情報のインとアウトに関する自分の脳のくせ、についても語っております。
視覚と聴覚の同時処理は、聖徳太子ではない普通の人には無理です。
講演を聴きながら本を読むのは、普通は不可能です。
両方、訳が分からなくなるか、どっちかに集中せざるをえないでしょう。
音楽を聴きながら本を読むのは、歌詞のないもので、ある程度、音量を落とせば、効果的に本が読めると筆者は語っております。
わたくしの場合、音を聴きながら物を書くのは問題ありません。
途中で何も聞こえなくなるからです(^^;
(両方、できるわけではない・・・)
しかしながら、メロディを口ずさんだり、歌いながら、論文を書いていることはあるそうです。
その場合、耳慣れた歌を考えずに歌っているだけなので、本人は歌っている自覚がほとんどありません。
あくまで、集中力は字を書く方に向かっております。
あぁ、どうしたら、そういう鈍感な体質になれるのか書けたら、このブログも意味があるような気がしますが、残念ながら、コツみたいなものはないような気がします。
あ、ちなみにこの本にはいろいろな章があるので、全部自分のスタイルに活かせるかどうかは別として、他人の、特にビジネスに活かす本の読み方を知るという意味でとても面白かったと思います。

 
0

中国の学術書の表現は面白い

Posted by 游鯉 on 3月 29, 2009 in 読書感想文, 雑感あれこれ

最近は、めっきり専門書を始めから終りまで通読するということがなくなりました。
調べたいときに、調べたい所をぱっと見て終わり…
別にそれでも通常の仕事上、何ら困ることはありませんが、これでは研究者失格だわなと思い、日頃、あまり見ない「はじめに」という部分を読んで、著者の先生の法律に対する熱い思いをおすそ分けしていただきました。
そこでふと思ったのですが、日本の先生は超真面目というか、一般人が日常あまり使わない言葉をよく使うんですよね。
うっかり、わたくしも翻訳でそういう言葉を使うとチェッカーがその言葉を知らなくて誤訳とされることもあったりして。
あと、カタカナも多いなぁ…訳しきれない言葉は全部、そのままカタカナにしてしまう日本人って何か協調性ありすぎですね。
それに比べて、中国の先生はユニーク…というか故事成語がお好き。
由緒正しい故事成語でなくとも、俗にいう四字熟語や、自分で語呂のよい韻を踏んだスローガンみたいな章タイトルをお付けになったりもする(こういうのは本当に訳しようがなくて苦労する…)
例えば、所有権と知的財産権の違いを説明する場合、日本人だと
情報は公共財的性格を有しており、その最大の特徴は、消費の排他性がないという点にある(消費の排他性、非競合性)。つまり同じ情報を複数の者が同時に使用し得る(重畳的使用可能性)。
中山信弘著「著作権法」有斐閣、2007年10月、18頁
とのように真面目な言い回しが普通に延々続くのですが、中国の先生によると
知的財産権の権利者は「貨許三家」(訳注:一つの貨物について三人と約束する)又は「一女両嫁」(訳注:一人の女性が一生のうちに何度も嫁ぐこと)となってもかまわない。不動産一棟の所有者は売出時に、それぞれ独立した二人の買主に売ることはできない。
鄭成思著「知的財産法論」第三版、法律出版社2003年10月、64頁。
とのような説明がお好きだったりして。
しかしながら、前者の日中訳も後者の中日訳も妙訳は困難なのではないかと思ったりするのでした。
何でも訳したがるのは職業病(^^?

 
0

人脈術

Posted by 游鯉 on 3月 28, 2009 in 読書感想文

レバレッジ人脈術

著者:本田直之
価格:1500円(税込)
時間:3時間59分01秒

人脈に関する本を聴きました。
感想を一言で言うなら、「反省」しました…
「人脈」とは誰を知っているかではなく、どれだけの人に自分が知られているかということだそうです。
勝間和代氏の本でもよく出てきますが、「教えて」ではなく、自分が他人に対して何を与えることができるが、どういうことで相手に貢献できるかってことなんですよね。
それは、フツーの人間にとって、非常に難しいことだと思います。
自分が分けてあげられるものを持っていないのなら、アプローチする時期ではないわけです。
最近、自分は兄弟子や先生に「教えて」っていうことが多すぎて、反省しました。
それと、わたくしは、わたくしによくしてくれる人の前では喋りすぎてしまうのですが、これも反省。
自分が相手に貢献しつつ、しゃべる時は自分が10で相手が90くらいのつもりでいろって難しいですよ。
そういえば、大学の先生の中には、学生(わたくし)にたくさん喋らせて、大幅に軌道を外したときだけ口をはさんで、自分ではあまり何もおっしゃらないのに、最終的にはたくさんわたくしにインスピレーションをくださるという人もいますが、おそるべしです。
それから、いつもわたくしの助長なメールを読んでくださる友人には感謝しております。
要件以外につい余談を書いてしまう悪い癖。
長いメールは、相手の返信の負担になりますよね。
わたくしの周囲の方、今まで我慢してくださってありがとうございます、反省、反省、反省の一冊でした。

 
2

情緒的な日本語、論理的な中国語

Posted by 游鯉 on 3月 14, 2009 in 翻訳, 読書感想文, 雑感あれこれ

昨夜、武吉次朗著「日中中日翻訳必携」、日本僑報社、2007年を読みました。
コピーは「翻訳の達人が軽妙に明かすノウハウ」というものです。
なるほど、確かにそうだよね、ということがいっぱい書いてありました。
中国語がある程度できる方は読んでみると納得できることが多いと思います。
わたくしの翻訳は、客観的に見て「硬い」です。自分でもよく知っております。
もっとも、弁護士の意見書や論文の翻訳がメインなのですから、それでいいと思っておりますが。
でも、その気になれば、一般文書も、ラブレターも、ライトノベルも書けますよ(^^;
せっかくなので、書籍の内容を一部紹介しましょう。
<情緒的な日本語、論理的な中国語>
「携帯電話の使用はお控えください」
これは「お願い」なのか、「要求」なのか、ある人が私鉄会社に尋ねたところ、「禁止することです」との答えだった由。以前、中国の列車に乗った時、「厳禁…」が10くらい並んだ規定が目の前に貼ってあり、見ただけでクラクラした。日本の映画館に入ると、スクリーンの横には「禁煙」と書いてあるが、アナウンスは「たばこはご遠慮ください」

中国語なら当然、お控え、ご遠慮などとは言いませんね、「やめろ」と言いますヾ(^^;
「あなた、お茶が入りました」
金田一春彦氏はこれを、「なんと美しい言葉であるか」と絶賛する。
いや~原節子さんとかが出てきそうな台詞ですな。
他の言語だったら、誰が何をしたかを明確にしないと文章になりませんが、日本語は便利なことにお茶が勝手に入ってくれちゃうわけです(^^;
恩着せがましくない日本文化らしい表現です。
ちなみに日本では夫がよくコーヒーを淹れてくれますが、確かに彼も「コーヒーができたよ」と言います(^^)
「電話が少し遠いようですが・・・」
初めてこれを聞いた中国人は、たいてい面食らう。相手の声が小さくて聞き取りにくいのを、日本人は電話機のせいにするのだから。
もちろん、わたくしが中国語で中国人に言うときは「よく聞こえないので、もう少し大きな声でお願いします」とはっきり言いますね。ただ、携帯電話等は本当に電波が悪いときがあるので「電波がよくないので聞こえなかった」とは言いますが。
ちなみに、わたくしは中国語の論文を書くときは、日本語の下書を書くことは絶対にありません。
そのままストレートに中国語で書き始めます。
日々の考え事も、仮想の読者や聴衆が中国人であれば中国語で思考しております。
ですから、中国語で話すときのわたくしはハッキリした性格になります。
わたくしはXXと思う、大多数の者がXXと思っていると言わざるを得ないからです。
XXであろう、XXだと思われるなどという、何だか事柄が勝手に発生したような、誰が言っているのか主体が不明確な言い方ができないからですね。

 
0

中国往事―Memoirs In China

Posted by 游鯉 on 3月 10, 2009 in 読書感想文, 雑感あれこれ

土曜日に中国の人気俳優の張國立と宋佳が主演する全42話の歴史大河ドラマ「中国往事」のDVDを買いました。
英語タイトルはMemoirs In China です。
セリフを2、3拍後れで喋ることにより、中国語能力がUPしないかなぁとか思って、久しぶりにドラマでも見てみようと思ったのです。
時代は清代末期。
もっと現代ドラマを見りゃいいものを、わたくしは時代モノが大好きなのです。
大きなお屋敷の大奥様の過ちによって生まれてしまった婚外子の男の子の目を通して、お屋敷の様々な人間模様が繰り広げられます。
このドラマのテーマは一体、何なのでしょうね・・・女性の婚外恋愛とその罪、人間の弱さというようなことでしょうか。
主人公があこがれているお屋敷の二男の若奥様は、美人で賢くて優しくて旦那さまによくつくすのですが、旦那さんは仕事に夢中(地下組織の活動にも夢中)で構ってくれなくてさびしい思いをしております。
それで、旦那さんの友人の外国人とできちゃうんです。
正直にいいますが、この若奥様、大嫌いです。
最後は旦那さんの子どもではない子どもを産んで(相手が外国人だから誰の子かはすぐばれますね)、里帰りさせられる途中で自殺しちゃうらしいですが、かわいそうとは思えません。
旦那さんもかなり我儘なおぼっちゃんで身勝手なので、浮気されて当然なんですが、若奥様、ほんと嫌い。
別にわたくしが潔癖だから嫌いとかいうんじゃなくて、若奥様が不細工でおバカだったら、絵にならないだろうなというところが気になってしまうのですよ。
結局、ぼーっとドラマを見てしまいました。
中国語のためだったら、さっさと見終えて、真面目に教材を繰り返し聞いた方がよいのでしょうね。

 
0

夢は見るものか作るものか?

Posted by 游鯉 on 3月 6, 2009 in 読書感想文, 雑感あれこれ

ここ最近、夢をよく見ます。
眠りが浅いのでしょうね。
わたくしはどちらかというと、6~7時間くらいでいいので深く眠る方が好きなのですが。
ぼーっとしているようで、これでもいろいろ悩みがあるので、それが夢に出てきてしまうのでしょう。
ところで、日本語では夢は「見る」ものですが、中国語だと「做夢」といいまして「做す(なす)」ものです。
なんか「見る」というと、自分とは関係ないところで勝手に展開されて、受動的な感じですが、「做す」となると、自分が作っているという主体的な感じがしますよね。
あこがれの人が夢に出てきた場合、その人が自分のことを思っているのか、自分がその人のことを思っているのか、果たしてどちらなのでしょうね。
今日はパソコンが盗難にあう夢を見ました。
先日は外で殺人があった夢を見ました。(わたくしは行為者でも被害者でもなく目撃者?)
ちょい前は財布を忘れたまま、旅に出る夢を見ました。
などなど、起きるとどきどきしているような内容ばかりで…(起きてから、パソコンや財布を確認したのはいうまでもありません)
ネットで夢占いサイトを見たりもしてみました。
いずれにせよ、未来の見えない自分にあせりを感じているのかもしれません(^^;

Copyright © 2010 北京で働く萩原有里の日常 All rights reserved.
Desk Mess Mirrored v1.4.1 theme from BuyNowShop.com.